東京地方裁判所 昭和62年(合わ)106号 判決 1988年3月10日
主文
被告人は無罪。
理由
一本件公訴事実は、「被告人は、かねて自己の健康状態が思わしくないことに思い悩んでいたことなどから前途を悲観し、長女甲野春子(当時三年)を殺害して自らも死のうと決意し、昭和六二年五月二二日午前四時三〇分ころ、東京都大田区<以下省略>市街地住宅(一一階建共同住宅)の一〇階から一一階に至る西棟南端非常階段の踊り場において、同児を抱きかかえた上、殺意をもつて、同所に設置されていた鉄製手摺越しに同児を約36.5メートル下のコンクリート製路面に落下せしめ、よつて、即時同所において、同児を頭蓋骨陥没粉砕骨折を伴う高度の頭蓋内損傷により死亡するに至らしめて殺害したものである。」というのであり、右の事実は、<証拠>によつてこれを優に認めることができる。
二しかしながら、当裁判所は、審理の結果に徴し、被告人は、右行為当時、内因性鬱病に罹患し、その精神障害の程度も右疾病の病勢期にあつて重く、是非善悪を判断しこれに従つて行動する能力を喪失していた状態にあり、本件殺害は責任能力を欠く者の行為として罪とならない、と判断したが、その理由は次のとおりである。
即ち、前掲関係各証拠によれば、(1)被告人は、昭和五二年東京都立の高校に入学したものの一年で中退し靴店その他の店員等として稼働していたが、同五七年夏ころ会社員の甲野太郎と知り合つてその後同人と同棲し、同五八年一〇月には同人と婚姻届をして主婦に専念するようになり、同五九年三月二五日には長女春子も出生し、その家庭生活は円満なものであつたこと、(2)被告人は、元来身体は健康な方で格別病気をしたこともなかつたが、同六二年二月ころから微熱、排尿障害、耳鳴り等に苦しむようになり、加えて生理も不順等になるなどしたため、同月末ころから同年四月二一日かけて数か所の病院を転々としては合計十数回も通院するなどし、右各病院の医師からは特に重大な病気は見当たらない旨の診察を受けていたにもかかわらず、その後も身体の具合が一向に良くならないように感じたため、次第に自分が原因不明の不治の病にかかつているのではないかなどと思い悩むようになつたこと、(3)その後、被告人は、右体調不良により家事さえも思うようにできなくなつてきたので、夫の了承を得て、同年四月二二日静養のため函館市内の実家に戻り、同市内でも病院や温泉に通つたりしてみたが、その効果はなく、また、養母からは「太郎さん(夫の意)は健康な人なので彼女をつくつてしまう。花子がそんなに悪いのなら病院に入院したらいいだろう。」などと言われたこともあつて、同年五月九日には帰宅したものの、その後も体調は回復せず、医師や友人からは前記の各症状は神経から来ているなどと言われたことから、自分の病気は不治の精神病かもしれないとも考えて前途をいたく悲観し、右春子を道連れに飛び降り自殺しようかという気にさえなり、同児を連れて高層ビルに上つてみたりするまでになつたこと、(4)このようにするうち、被告人は、同年五月二一日になつても相変らず気分がすぐれず、同日夕刻には食事をとろうとすると吐気とめまいがするなどし、夫や子供のために何一つもしてやれないような無気力感を覚えるに至り、やはり自分は不治の病にかかつているなどと前同様深く絶望し、これ以上自分の病気のことで夫に迷惑をかけることはできず、自殺するしか途はないと決意するとともに、幼い春子を残して自分が死ねば同児の存在が夫の負担になるなどと考えて同児も道連れにすることとし、夫に遺書を書いた上、同日午後一〇時ころ右春子を連れて自宅を後にしたこと、(5)かくて、被告人は特に行くあてもなくタクシーに乗つたり歩いたりするうち、同日午後一一時三〇分過ぎころ、たまたま見つけた前記<以下省略>の市街地住宅の高層建物内に同児を連れて入り込み、間もなく寝込んだ同児を抱えたまま翌二二日午前四時三〇分ころまで前記決意をその場で実行に移すか否か逡巡していたが、夜が明けて来て人目につきやすくなつてきたことから、遂に親子の無理心中をしようと最終的決意を固め、まず右春子を冒頭認定のとおり右建物から落下させて即死させ、次いで自らも飛び降りようと試みたが自殺を遂行するまでには至らなかつたこと、を認めることができ、以上認定した各事実と鑑定人中田修作成の鑑定書及び証人中田修の当公判廷における供述とを総合すると、被告人は、昭和六二年二月末ころから本件行為当時にかけて内因性鬱病の病勢期にあつたもので、それ以前は格別病気にかかつたこともなく、円満な家庭生活を送つていたにもかかわらず、右鬱病の発作により、唐突にも自己が不治の病に冒されているなどという心気妄想にとらわれるに至り、何かしようと思つてもどうしてもできないという行動抑制も顕著に働き、このままでは夫に迷惑をかけるばかりで申し訳ないという罪業念慮も募り、絶望の余り、このような病的負因により高められた自殺念慮の衝動によつてもはや他の行為の選択を期待できない状態に陥り、その結果、いわゆる無理心中即ち「拡大自殺」の一環とも言うべき本件行為に及んだものであつて、その精神障害の程度は右のように重篤であつたことが推認されるので、被告人は、右行為当時、殺害自体の事柄の善悪を概念的に判断する能力は一応具備していたものの、殺害ないし自殺をすべきでないという点の判断能力及びこれらの判断に従つて行動する能力を欠いていたとみるのが相当であり、刑法上の心神喪失の状態にあつたと言うべきである。
三なお、検察官は、以下に掲げる諸点を根拠として、被告人は、本件行為当時、単に心因反応としての抑鬱神経症の状態にあつたものに過ぎず、また、仮に鬱病に罹患していたとしても、その程度は低いものであつたから、少なくとも心神耗弱の限度においては有責であつたなどと主張しているのでこの点につき若干付言することとする。検察官の根拠とする右諸点とは、るる述べるが、その主要な部分を要約すると、(一)被告人の前記排尿障害等の自覚症状は、膀胱頸部炎等の身体的疾患に現実に基因しているところ、単なる身体の不調であつても、その裏に重い病気が隠されているのではないかと疑つてあれこれ過度に思い悩むことは世上よくみられることであり、また、被告人の抑鬱をさらに強めた原因として実家に帰つた際の養母(継母)の前記(3)の言動を挙げ得ることができるなど、被告人の抑鬱状態は反応性(心因性)のものと理解するのが相当である。(二)被告人は、クレッチマーのいう鬱病患者の体型及び気質の分類の持ち主に当てはまらず、また、一般に、鬱病患者は発病の初期から自殺念慮が生じるとされているところ、被告人が自殺を思い立つたのは本件犯行の一週間程前に過ぎず、さらに、自殺行動に当たつても、二七行にわたる文脈の乱れのない遺書を残したり、犯行場所を家庭内ではなく自宅から離れた本件現場に求めているのみならず、右現場においても本件犯行に至るまで五、六時間以上思い迷つて逡巡する態度を示すなど内因性鬱病患者としての一般的行動と相容れない行動に出ている、(三)さらに、被告人は、逮捕直後の取調べに対し、犯行の動機・経緯など本件を詳細に供述し、記憶の重要な欠落もない、などというものである。しかしながら、右(一)の点については、被告人の前記身体的疾患なるものはいずれも比較的軽微なものに過ぎず、それらは、通常人をして自殺念慮に支配される程の抑鬱状態を引き起こす要因となるなどとは到底考えられず、被告人において右のような軽微な身体的疾患をあえて重大な不治の病気であるなどと悩み、遂にはこれが被告人をして本件のような「拡大自殺」までをも思い立たせたことこそ内因性鬱病の典型的特徴を示すと理解するのが自然であり、また、そもそも被告人が前記のような不定愁訴と言うべき自覚症状に悩んだこと自体右精神病の一つの身体的表現であると解することも十分可能であり、さらには、養母の前記言動は、被告人が既に重い抑鬱状態に陥つた後になされているなど、右言動が、被告人の抑鬱状態にとつて大きな役割を果したと考えることは本件各証拠上相当ではなく、この点に関する所論は採用の限りではないと言うべきである。次に、右(二)の点についてであるが、この点に関する所論自体いささか牽強附会の感を抱かせるものを含むほか、内因性鬱病患者の典型的な体型・気質・言動等につき、その特徴のすべてを満たしていなければ内因性鬱病患者とは認められないなどというものではない上、内因性鬱病の病勢期にあつても、その極限状態でない限りは、行動能力が全く失なわれてしまうということはなく、行動抑制の傾向が顕著な内因性鬱病患者であつても、遺書を書くことは十分に有り得るのであり、しかも、本件遺書の内容を見ると、夫に対する申し訳なさの情がめんめんと綴られていて、むしろ、内因性鬱病患者の特徴である罪障感が強く表れていると理解され、また、所論のように被告人は逡巡してはいるものの、証人中田修が極めて説得的に当公判廷で供述するように、被告人は、結局は、一種の金縛りのような状態に陥つて本件犯行現場を離れることもできず、その結果、本件犯行に踏み切つていることからすると、被告人の死への願望は極めて強く、その内因性鬱病の程度も重篤なものであつたと考えるべきである。最後に右(三)の点については、内因性鬱病は意識障害をもたらすものでないことは言うまでもないところであつて、内因性鬱病に罹患していることと被告人の記憶が明瞭であることとは何ら矛盾せず、この点を捉えて被告人に責任能力がある旨いう所論も採用できないところである。
四以上の次第であるから、刑事訴訟法三三六条により、被告人に無罪の言渡をすることとし、主文のとおり判決する。
(裁判長裁判官反町宏 裁判官髙麗邦彦 裁判官平木正洋)